從二位
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日語寫法 | |
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日語原文 | 從二位 |
假名 | じゅにい |
平文式罗马字 | Shuni-i |
從二位為日本品秩與神階的一種,位於正二位之下正三位之上。
目录
1 解說
2 獲得從二位者
2.1 幕府時期
2.2 維新時期
2.3 戰後時期
3 參見
4 外部連結
解說
律令制度下的從二位,相當於內大臣或藏人別當,也有頒給大臣正室的。最有名的就是平清盛的正妻平時子,還因此被稱為「二位尼」。
以公卿來說從二位算是相當高的官階,而武士從鎌倉時代的北條政子開始到室町時代為止,只有作為將軍正妻的御台所能得到從二位,即使是將軍的其他親族也沒辦法。足利幕府中地位極高的鎌倉公方一職也只是從三位,室町幕府中管領一職最高位者也只有正三位。
進入戰國時代後,因為室町幕府的統治崩壞,有力的大名間盛行起對朝廷現金買官的行為,大內義隆也藉此獲得從二位的官位,而豐臣秀吉自從成為關白以後便開始封親戚與家臣為從二位,也開始出現正二位以上的武士。到了江戶時代時御三家、御三卿中也有升任從二位權大納言的例子。
獲得從二位者
幕府時期
立花種恭 1836年4月13日 三池藩主 江戸幕府若年寄、老中(從二位)
維新時期
日野資朝 1884年(明治17年)2月22日 (從三位)
今出川公言 1891年(明治24年)12月17日 (正三位)
高倉永秀 1891年(明治24年)12月17日
町尻說久 1891年(明治24年)12月17日
前田慶寧 1893年(明治26年)7月14日 (從三位)
楠木正行 1897年(明治30年)4月6日
戶田忠至 1897年(明治30年)4月21日 (從三位)
立入宗繼 1898年(明治31年)4月9日
大谷光澤 1902年(明治35年)4月18日 (無位)
大村純熙 1903年(明治36年)10月9日 (從五位下)
紀貫之 1904年(明治37年)4月18日 (從五位上)
上杉謙信 1908年(明治41年)9月9日 (從四位下)
戶澤正實 1908年(明治41年)9月9日 (從四位下)
前田綱紀 1909年(明治42年)9月11日 (從三位)
前田利常 1909年(明治42年)9月11日 (從三位)
池田輝政 1910年(明治43年)11月16日 (正四位下)
伊達政宗 1918年(大正7年)11月18日 (從三位)
千種忠顯 1919年(大正8年)11月15日 (從三位)
大村永敏 1919年(大正8年)11月27日
島津忠久 1927年(昭和2年)6月15日
山梨東平 1927年(昭和2年)6月15日
德川綱條 1928年(昭和3年)11月10日 (正三位)
藤原宗行 1928年(昭和3年)11月10日
藤原行房 1928年(昭和3年)11月10日 (正四位下)
河野養哲 1931年(昭和6年)12月21日
平成輔 1931年(昭和6年)12月21日 (正三位)
戰後時期
多為去世後追贈。
武井守成(宮內廳式部官長) 1949年(昭和24年)12月14日 (從三位)
三浦謹之助(東京帝國大學教授) 1950年(昭和25年)10月11日 (正三位)
長岡半太郎(貴族院議員、日本學士院長、大阪大學校長) 1950年(昭和25年)12月11日 (正三位)
穗積重遠(最高法院法官) 1951年(昭和26年)7月29日 (正三位)
田中館愛橘(貴族院議員、東京帝國大學教授) 1952年(昭和27年)5月21日 (正三位)
幣原坦(台北帝國大學校長) 1953年(昭和28年)6月29日 (正三位)
前田米藏(運輸通信大臣) 1954年(昭和29年)3月18日 (正三位)
羽田亨(貴族院議員、京都帝國大學校長) 1955年(昭和30年)4月13日 (正三位)
松平康昌(宮內廳式部官長) 1957年(昭和32年)1月4日 (從三位)
重光葵(外務大臣) 1957年(昭和32年)1月26日 (正三位)
野村行一(東宮大夫) 1957年(昭和32年)7月29日 (正三位)
安藤廣太郎(日本學士院會員) 1958年(昭和33年)10月14日 (正三位)
岡田忠彦(眾議院議長) 1958年(昭和33年)10月30日 (正三位)
金森德次郎(國務大臣) 1959年(昭和34年)6月16日 (從三位)
芦田均(内閣總理大臣) 1959年(昭和34年)6月20日 (從三位)
河本文一(會計檢查院長) 1960年(昭和35年)2月22日 (正三位)
石黑忠篤(農商大臣) 1960年(昭和35年)3月10日 (正三位)
林讓治(眾議院議長) 1960年(昭和35年)4月5日 (正五位)
河井彌八(參議院議長) 1960年(昭和35年)7月21日 (正三位)
豐田貞次郎(外務大臣) 1961年(昭和36年)11月21日 (正三位)
熊谷岱藏(東北大學校長) 1962年(昭和37年)2月19日 (正三位)
入江誠一郎(人事院總裁) 1962年(昭和37年)7月25日 (正三位)
真島利行(大阪帝國大學校長) 1962年(昭和37年)8月19日 (正三位)
松野鶴平(參議院議長) 1962年(昭和37年)10月18日 (從三位)
勝沼精藏(名古屋大學長) 1963年(昭和38年)11月10日(正三位)
大野伴睦(眾議院議長) 1964年(昭和39年)5月29日 (無位)
芳澤謙吉(外務大臣) 1965年(昭和40年)1月5日 (正三位)
河野一郎(農林大臣) 1965年(昭和40年)7月8日 (從五位)
山田三良(日本學士院長、東京大學名譽教授) 1965年(昭和40年)12月17日 (正三位)
下條康麿(文部大臣) 1966年(昭和41年)4月25日 (正三位)
小原直(法務大臣) 1966年(昭和41年)9月8日 (正三位)
清瀨一郎(眾議院議長) 1967年(昭和42年)6月27日 (無位)
山梨勝之進(海軍次官、學習院長) 1967年(昭和42年)12月17日 (正三位)
正力松太郎(國務大臣) 1969年(昭和44年)10月9日 (正六位)
牧野英一(貴族院議員、東京大學名譽教授) 1970年(昭和45年)4月18日 (正三位)
藤田尚德(侍從長) 1970年(昭和45年)7月23日 (正三位)
川島正次郎(國務大臣) 1970年(昭和45年)11月9日 (正五位)
加藤鐐五郎(眾議院議長) 1970年(昭和45年)12月20日 (正五位)
松村謙三(文部大臣) 1971年(昭和46年)8月21日 (從三位)
佐藤尚武(參議院議長) 1971年(昭和46年)12月18日 (正三位)
入江俊郎(最高法院法官) 1972年(昭和47年)7月18日 (正四位)
内田祥三(東京帝國大學校長) 1972年(昭和47年)12月14日 (正三位)
稻田周一(侍從長) 1973年(昭和48年)2月5日 (正四位)
石橋湛山(内閣總理大臣) 1973年(昭和48年)4月25日 (正八位)
益谷秀次(眾議院議長) 1973年(昭和48年)8月18日 (從五位)
我妻榮(貴族院議員、東京大學名譽教授) 1973年(昭和48年)10月21日 (正四位)
愛知揆一(大藏大臣) 1973年(昭和48年)11月23日
南原繁(日本學士院長、東京帝國大學校長) 1974年(昭和49年)5月19日 (從三位)
廣瀨久忠(厚生大臣) 1974年(昭和49年)5月22日(正三位)
佐藤達夫(人事院總裁) 1974年(昭和49年)9月12日
霜山精一(大審院長) 1975年(昭和50年)3月12日 (正三位)
八木秀次(參議院議員、大阪帝國大學校長) 1976年(昭和51年)1月19日 (正三位)
重宗雄三(參議院議長) 1976年(昭和51年)3月13日 (無位)
宮澤俊義(貴族院議員、立教大學法學部長) 1976年(昭和51年)9月4日 (從四位)
鳥養利三郎(京都帝國大學校長) 1976年(昭和51年)9月24日 (從三位)
水田三喜男(大藏大臣) 1976年(昭和51年)12月22日 (無位)
正田建次郎(大阪大學校長) 1977年(昭和52年)3月20日 (正五位)* 片山哲(内閣總理大臣) 1978年(昭和53年)5月30日 (無位)
保利茂(眾議院議長) 1979年(昭和54年)3月4日 (從五位)
船田中(眾議院議長) 1979年(昭和54年)4月12日 (正五位)
石田和外(最高法院院長) 1979年(昭和54年)5月9日 (從五位)
朝永振一郎(日本學術會議會長) 1979年(昭和54年)7月8日 (正六位)
椎名悅三郎(外務大臣) 1979年(昭和54年)9月30日 (正四位)
星島二郎(眾議院議長) 1980年(昭和55年)1月3日 (正五位)
天野貞祐(文部大臣) 1980年(昭和55年)3月6日 (從三位)
中山伊知郎(一橋大學校長) 1980年(昭和55年)4月9日 (從四位)
後藤文夫(内務大臣) 1980年(昭和55年)5月13日 (正三位)
前尾繁三郎(眾議院議長) 1981年(昭和56年)7月23日 (正五位)
湯川秀樹(京都大學名譽教授) 1981年(昭和56年)9月8日 (從五位)
石井光次郎(眾議院議長) 1981年(昭和56年)9月20日 (正六位)
田中二郎(最高法院法官) 1982年(昭和57年)1月16日 (正五位)
高橋誠一郎(文部大臣、日本藝術院長) 1982年(昭和57年)2月9日 (無位)
青木一男(大藏大臣) 1982年(昭和57年)6月25日 (正三位)
東畑精一(東京大學名譽教授) 1983年(昭和58年)5月6日 (從四位)
河野謙三(參議院議長) 1983年(昭和58年)10月16日 (無位)
森戶辰男(文部大臣、廣島大學校長) 1984年(昭和59年)5月28日 (無位)
橫田正俊(最高法院院長) 1984年(昭和59年)7月1日(從四位)
中村梅吉(眾議院議長) 1984年(昭和59年)8月4日 (正五位)
牛場信彥(國務大臣) 1984年(昭和59年)12月31日 (從五位)
三谷隆信(侍從長) 1985年(昭和50年)1月13日(從三位)
藤山愛一郎(外務大臣) 1985年(昭和60年)2月22日 (無位)
入江相政(侍從長) 1985年(昭和60年)9月29日 (從五位)
安井謙(參議院議長) 1986年(昭和61年)3月10日 (無位)
村上朝一(最高法院院長) 1987年(昭和62年)2月13日(從五位)
西村英一(建設大臣) 1987年(昭和62年)9月15日 (正五位)
福永健司(眾議院議長) 1988年(昭和63年)5月31日 (無位)
土光敏夫(經濟團體聯合會會長) 1988年(昭和63年)8月4日 (無位)
茅誠司(東京大學校長) 1988年(昭和63年)11月19日 (從四位)
東久邇稔彥(舊皇族、内閣總理大臣) 1990年(平成2年)1月20日 (無位)
德永正利(參議院議長) 1990年(平成2年)9月23日 (正八位)
宇佐美毅(宮内廳長官) 1991年(平成3年)1月19日 (正五位)
安倍晉太郎(外務大臣) 1991年(平成3年)5月15日 (無位)
橫田喜三郎(最高法院院長) 1993年(平成5年)2月17日 (從四位)
服部高顯(最高法院院長) 1993年(平成5年)3月24日 (從五位)
灘尾弘吉(眾議院議長) 1994年(平成6年)1月22日 (從四位)
岡原昌男(最高法院院長) 1994年(平成6年)7月14日(從五位)
下田武三(特命全權大使、最高法院法官) 1995年(平成7年)1月22日 (從五位)
渡邊美智雄(外務大臣) 1995年(平成7年)9月15日 (無位)
德川義寬(侍從長) 1996年(平成8年)2月2日 (正五位)
高辻正己(最高法院法官、法務大臣) 1997年(平成9年)5月20日 (從五位)
福田一(眾議院議長) 1997年(平成9年)9月2日 (無位)
福井謙一(日本學術振興會會長) 1998年(平成10年)1月9日 (從六位)
宇野宗佑(内閣總理大臣) 1998年(平成10年)5月19日
原文兵衛(參議院議長) 1999年(平成11年)9月7日 (正六位)
二階堂進(國務大臣) 2000年(平成12年)2月3日
伊藤宗一郎(眾議院議長) 2001年(平成13年)9月4日 (正八位)
寺田治郎(最高法院院長) 2002年(平成14年)3月17日 (從七位)
櫻內義雄(眾議院議長) 2003年(平成15年)7月5日 (無位)
坂田道太(眾議院議長) 2004年(平成16年)1月13日 (無位)
原健三郎(眾議院議長) 2004年(平成16年)11月6日 (無位)
矢口洪一(最高法院院長) 2006年(平成18年)7月25日 (正七位)
井上裕(參議院議長) 2008年(平成20年)6月22日
參見
從二品:東亞其他地區的相等品秩
外部連結
- 位階令
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